練習日の逢瀬
初デート以来、練習日に食事に行ったりすることが、けっこう多くなった。
最初のうちは、練習後の片付けを終えて、皆が解散したあと、さりげなくオレの車に幾子が乗り込んできて、二人でどこかへ行くというパターンが多かった。
しかし、これはリスキーだということになり、宮町公民館近くのマツキヨ前での待ち合わせが定番になった。
練習前に「じゃあ今日も練習終わったら『マツキヨ前』で」というのが、いつものパターンになった。
近所のマックでハンバーガーを買って、車内で食べて少しおしゃべりして、家まで送って解散ということが多かった。
高校生のデートみたいだ。
そんなことが続いていたら、いよいよクリスマスがやってきた。
ヘビースモーカーの幾子にプレゼントするなら、やはりライターだろう。
そんなことをなんとなく話して、ネットでよさそうなライターを探す日々だった。
初デート
それからも毎日数回のメールのやりとりが続いた。
きっかけは忘れてしまったが、練習前に一緒にランチに行こうという話しになった。
思いきって誘ったら「ありがとうございます。お供します。」という返事。
ちょっとビックリだった。
JR東和駅前の広場で待ち合わせた。
早めに出かけたのだが、すでに幾子は来ていた。
スリムなジーンズに包まれた長い脚を組んで、コンバースのバスケットシューズを履いて、ちょっと不安げな様子でベンチに座っていた。
駅前に一軒しかないシティホテルの最上階レストランに入った。
仕事柄、いわゆるパワーランチと呼ばれる昼食接待はよく行っていたので、こういう場所には行き慣れてはいたが、若い女性と一緒というのはほとんど経験がなかった。
幾子はオーダーした料理にほとんど口を付けなかった。
「私小食なんです。」
ちょっと心配になったのだが、あとで聞いたのだが極度の緊張でまったく食欲がなかったそうだ。
ちょっと派手な雰囲気なので、きっと恋多き女だと思っていたのだが、実はまったく男性と付き合ったことがなかったそうだ。
そのまま、車で海を見に行った。
海岸をブラブラと散歩して、さびれた土産品店を覗いて、練習場所の宮町公民館に向かった。
さすがに公民館の目の前で車から降りるのは憚られるので、ひとつ手前の交差点にあるマツキヨの前で解散した。
その後「マツキヨ前」が、幾子との集合場所になるのだが。
ちなみにこのときは、手もつながなかった。
いわゆるボディコンタクトは、ずっとずっと後になるまで、本当にプラトニックな関係が続いた。
メールのやりとりが続く
体調不良で打ち上げパスしたときにお見舞いメールをもらってから、幾子とは日に数回メールのやりとりをする間柄になった。
といっても内容は他愛のないもの。
「出張にパンツ持ってくるの忘れた。一週間同じパンツを履いたらどうなるか実験してます。」
「そんな実験やめて、すぐにパンツ買いましょう〜」
「はーい」
47歳のオッサンと22歳の若い女性がこんなくだらない?メールを日に数回やりとりしていた。
まあなんというか、今思い返してみても恥ずかしい。
といっても何通も送るわけではなく、せいぜい一日に3通程度。
仕事の合間にちょこっと、という感じだった。
でもだんだん、待ち遠しくなってはきたのだった。
そんなある日、出張先で仕事のトラブルに見舞われて、メールどころではない状態が3日ほど続いた。
「3日もメールが来ないと、心配するじゃないですか!どうしているんですか???」
こんなメールが来た。
女性からこんな内容の連絡をもらったことがなかったので、とってもビックリした。
あちゃー、やっちゃった! と焦って、道ばたに車を停めて、あわてて電話した。
いきなり電話かかってきて幾子はびっくりしたらしい。
それまで携帯電話番号は交換していたけれど、電話したことがなかったので。
(やはり既婚者なので、いろいろと自制はしていた)
「ごめん、仕事でトラブルが起きてしまって。元気だから。」
「そうなんだ。よかった。心配した。」
二言三言話して電話を切ってしまった。
まもなく初雪の季節がやってくる、出張先の雪国の夕方のできごとだった。
体調不良
入団して一年ほど経った8月の暑い日。
東和市民まつりに参加した我が宮町ウインドアンサンブル、演奏のできはともかく、終演後は当然打ち上げが待っている。
JR東和駅前の大衆酒場「三幸」がいつもの会場。
オレも当然参加するつもりだった。飲めないけれど。
でも炎天下、屋外での演奏のせいで、急に体調がおかしくなってしまい、打ち上げはパスして帰宅。
すぐに寝てしまった。
しばらくすると幾子からメールがきた。
「おじさんたちに囲まれて、モツ煮食べながらウーロン茶飲んでます。おじさんが一人足りないからちょっと淋しいです〜。」
幾子もお酒飲めないんだよなぁ・・・なんてフラフラするアタマでぼんやり考えながらメールを読んだ。
「もう一人のおじさんは、家でおとなしく寝てます。」
体調不良で思考力が低下していたのだが、なんで幾子はオレにメールなんかよこしたんだろうか。
回りにいるおじさんたちに「あいつ打ち上げ来られなくてかわいそうだから、メール送ってやれ」ってそそのかされたのかなぁ・・・なんて考えながら寝てしまった。
メール
この話しは15年ほど前のこと。
当時はLINEもスマホもなかった。
ガラケー、キャリアメールの時代。
団員どうしの連絡は、楽団ホームページの掲示板がメインだった。
仲のいい団員はメールアドレスを交換して、いろいろとやりとりをしていた。
そんな時代。
オレもようやく慣れてきて、練習後の飲み会にも参加することが増えてきた。
といっても飲めないたちなので、毎回ウーロン茶だが。
若い女性団員もけっこう飲み会には来ていた。
その中で必ず顔を出していたのが、幾子だった。
といっても指揮者の森先生と、東和楽器の立川さんといつもいっしょだった。
三人ともヘビースモーカー。
幾子は楽器運搬係なので、立川さんと一緒にいることがとても多かった。
ちょっと立川さんが羨ましかった。
楽団に慣れてくるにしたがって、メールアドレスを交換する相手も増えてきた。
幾子ともアドレスを交換した。
でもたいしてやりとりをするわけでもなく、たまに事務連絡に毛が生えた程度のメールが来るくらいだった。
バンドの中の気になる女性たち
宮町ウインドアンサンブルに入団してしばらくは、練習が終わったら、一人で適当な場所で夕食をとって帰宅するという毎日だった。
人見知りなオレは、なかなかメンバーに溶け込めない毎日だった。
練習はそれなりに楽しく、仕事の都合をつけて毎回なんとか参加していた。
家内も週に2回、夕食の準備をしなくていいせいか、そんなに気にも留めていない様子だった。
前回のエントリーで、男女の仲云々と書いたが、オレだって木石ではないので、気になる女性団員は何人かいた。
同じサックスパートの、みずほちゃん。
東和女子高を出て、東京の有名私大を卒業して、地元に戻ってきて大手通信会社に勤めるキャリアウーマン。
大柄でスタイルがよくて、目鼻立ちがハッキリしていて、男性団員に隠れファンが多かった。
トロンボーンパートのアイちゃん。
服飾関係の学校に通っているのでファッションセンスはとても良くて、それでいて鉄子。
そのあたりのギャップにメロメロなおじさん団員多数。
クラリネットパートのゆうこちゃん。
たおやかな雰囲気なのだが、じつはスポーツ万能の婦人警察官。
なんでも逮捕術では県警の中でも一目置かれる存在らしいが、クラリネットを吹いているときはそんな雰囲気はまったく見せない。
オレも彼女たちに会うのは毎回楽しみだった。
そしてパーカッションパートの、幾子姐さん。
サックスのみずほちゃんと中学が同じ。
いつも喫煙組のおじさんたちと一緒にモクモク吸っているし、シャープな印象なので姉御肌に見られていて、姐さんなんてあだ名が付いている。
スリムでスタイルがよく、いわゆるクールビューティー。
サックスパートのお局さま、ゆうこおばさまによると「入団希望の若い男性は、かならく幾子ちゃんをじろじろ見ていくわよ」だって。
その幾子と、オレが・・・なんてことは入団当時は想像もできなかった。
宮町ウインドアンサンブルのメンバーたち
市民吹奏楽団の醍醐味? というのは、演奏もさることながら、その人員構成にあるのではないだろうか。
ふだんなら接点のないであろう年齢や職業の人たちと、一緒に演奏活動をしていると、団員みなが大きな家族のような存在に思えてくる。
宮町ウインドアンサンブルは、宮町中学校の卒業生が立ち上げた吹奏楽団だが、あまり出身校にこだわっていなかったため、市内のいろいろな人がメンバーになっていた。
高校生から還暦をこえたおっちゃんおばちゃんまで。
市役所職員、自衛官、警察官といった公務員、鉄道会社やバス会社といった運輸関係、金融会社の社長、スーパーのパートをやっている主婦、県庁所在地の花形企業につとめるOLさん、某新興宗教団体の職員さんなんて変わり種もいた。
当時47歳のオレには、女子高校生と話すことなんて絶対にあり得なかったし、オレの仕事では警察官や金融会社なんて職場ともまったく無縁だった。
演奏会が終わった後に、こういう面々が打ち上げと称して宴会を行うのが常で、それを楽しみに通ってくるメンバーもけっこう多かった。
当然、男女の仲に発展するメンバーもいたと思うが、オレはあまりそういうことが得意ではなかったし、既婚者でもあるので、期待もしていなかった。
そんなオレがこんなことになるとは・・・。